「カメラマン」のモラル

カメラを持つと人格が変わる?? そんなことはないでしょう

嫉妬

同じモデルを撮るカメラマン同士

その嫉妬が見るに堪えないw

 

腕の差

シチュエーション

それらの違いから来る嫉妬

 

自分に対する扱いが不当だと

訴えんばかりの態度だが

言葉は違う

正当性を訴える

相手の下劣さを訴える

 

その結果

結局のところ周囲から爪弾きにされる。

 

それはそれでいいのだ

消えるべきカメラマンが消えようとしているのだから

それはそれでいいのだ。

 

残るべきカメラマンは

被写体であるモデルが決めるのだ。

 

ただ、現状でその選択は

言うまでもなく、消去法による。

 

消去法で残るようなカメラマンに対して

嫉妬することはないのだ。

 

そのようなカメラマンは

最初から退場すべきなのだ。

ヘドロ

ポートレート撮影会に参加するカメラマンは

その9割がヘドロのような薄汚い連中だ。

 

普通の人間は1割りにも満たない。

 

数年参加してきた中で

辿り着いた結論だ。

 

どう贔屓目に見ても

殆どのカメラマンが人間としておかしい。

 

彼らに

カメラマンのモラルを説いたところで

理解されるわけもない。

 

ただ

だからといって、野放しには出来ない

どう考えても野放しには出来ない。

 

このままでは、撮影会は遅かれ早かれ

無くなってしまう。

 

早急な処置が必要だ。

 

 

ヘドロは

除去されるべきだ。

 

然るべき場所に

葬り去るべきなのだ。

 

答え

勘違いしないでもらいたい

 

答えはモデルが出すのであって

カメラマンが出すのではないことを

 

いい写真かどうかは

モデルが決めるのだ

 

たとえ

撮影会の外で

カメラマンとモデルが会ったとしても

それをモデルが拒否していなければ

その行為は咎められるものではないことを

 

答えはモデルが出すのだ

 

外野のカメラマンが騒ぐ資格は

残念ながらないのだ

 

正義正論をカメラマンが説いたところで

そんなものは無意味だ

 

撮影会参加者の中には

再三再四忠告しているように

モデルから忌み嫌われているカメラマンがいる

 

正義正論を吐くのは

大体においてそのような

忌み嫌われているカメラマンだ

 

正義正論が答えなのではない

 

答えはあくまでも

モデルが出すものなのだ

 

勘違いするな

愚かなカメラマン諸君

 

守るべきもの

カメラが好きで

趣味として

被写体として女性の写真を撮る

ポートレート

 

撮影会はそういった場を提供してくれる

便利な場所だ

 

そこに

カメラや写真を冒涜するものが多く潜在する

 

彼らによって冒涜されるものは

果たしてカメラか写真か・・・

 

 

守らなければならない

 

素晴らしい趣味を

 

そして、その趣味を応援してくれる存在である

他ならぬモデルを

凋落

モデルが辞めてしまう

あるいは、モデルに固執しない

 

多くのカメラマンが

モデルから嫌われている

嫌われる

明らかな理由がある

 

トーカー気質

気持ち悪い

不潔

救いようがないほど下手

 

彼ら

デリカシーのない

およそ下半身だけで生きているような

ゲテモノカメラマンの存在が

モデルを撮影会から消し去っている

現在進行系だ

 

こんなカメラマンに撮られるなら

もうモデルを辞めてもいい

実際のモデルの声だ

 

以前にも書いた

モデルが辞めてしまう

モデルのなり手がいなくなる

質が下がる

やがて撮影会は凋落する

 

写真という素晴らしい趣味を

カメラという素晴らしい趣味を

凋落に導くようなゲテモノを断じて許すわけには行かないのだ

 

現在、新規の撮影会がいくつも立ち上がり

撮影会界隈は盛況に見えるかもしれないが

それは幻だ

 

既に凋落は

始まっているのだ

 

共犯

言葉は直接的に意味を成す

悪口は悪口

褒め言葉は褒め言葉

そこに裏があろうがなかろうが

とりあえず読んだとおりに理解する。

 

写真はどうか

美しい写真、そうでない写真

それは直接的でないにしろ

見た相手それぞれに感情をもたらす。

 

直接的でない、その「お写真」は

一体、「個性」という一言で片付けられるものか

それでいいのか。

 

「悪口は良くない」とツイートするモデルがいるが

よく考えてもらいたい。

 

その偽善的な言葉のもたらす帰結を

よく考えてもらいたい。

 

ある日ある時

「悪口」よりももっと強烈な写真が

あなたを襲うかもしれないことを

よく考えてもらいたい。

 

時として正論は

共犯のツールとなりうる。

 

何の共犯か

低俗なカメラマンの共犯である。

 

 

姑息な低俗カメラマン

撮影会においては

いわゆる「新人モデル」を狙って

姑息で邪なアプローチをするカメラマンが絶えない。

 

撮影以外の飲食の誘い

撮影時にモデルに触る

モデルの嫌がることを平気でする。

 

枚挙にいとまがない。

 

このような姑息で低俗なカメラマンは

しかしながらそれはモデルに対してだけであるwww

 

他のカメラマンには、そのような態度は決して取らない。

男性相手では太刀打ちできぬとわかっているのだw

おまけに小心者である。口先だけwww

 

抗えぬモデルに対してのみ

高圧的な態度を取り、屈服を迫る。

犯罪スレスレである。

 

彼らのせいで、撮影会が低俗なものになりはて

そこで生成された写真は低俗な写真となる。

 

この姑息で低俗なカメラマンは

モデルのみならず、まっとうなカメラマンの趣味さえ

低俗なものにしてしまう。

 

断じてその存在は許す訳にはいかない。

野放しには出来ないのだ。

 

カメラという素晴らしい趣味を

もっと素晴らしいものにするためには

闘うことが必要なのだ。

 

姑息で低俗なカメラマンは

誰がなんと言おうが容赦なく駆除すべきなのだ。