「カメラマン」のモラル

カメラを持つと人格が変わる?? そんなことはないでしょう

殻は硬いのか

雑誌に応募し掲載される

カリスマカメラマン(?)の特集を組む

そのカメラマンが撮影した写真を写真集として発売する

ポートレートモデルを取り上げ特集する。

 

雑誌

カメラマン

モデル

 

トライアングルによる「ビジネスモデル」とでも言うべきか

そこには明らかなる利害関係がある。

 

だから、そのトライアングルの中に入りたがる

入れば少なからずの利益がある

 

金銭

名誉

収入

・・・

 

その結果何を生み出すか

いや、既に何を生み出したか

 

入るためには

何をしてもいいのか

 

誰の許可で入るのか

 

考えてもらいたい。

 

写真を趣味とするものが

果たして本当に

そのトライアングルに入ることが

必要であるのかを

 

入ったら最後

魂を売ることになることに

なぜ気づかないのか

 

カメラが好きであるならば

本当に好きならば

そのトライアングルには絶対に入ってはいけない。

 

食い物にされた挙句

魂を売り払い

本当に撮りたい写真が撮れなくなるからだ。

 

それでは

本末転倒であるのだ。

 

人を騙し

人を欺き

そうまでして、そのトライアングルに入ったものを

決して尊敬はできない。

 

その殻を

破らなければならない

 

決して固くないその殻を

勇気を持って破らなければならないのだ。

それは登るべき山か

ポートレート写真の展示会なるもの

そこに展示者として参加するもの

クオリティ、テクニック

尊敬の眼差し・・・

 

雑誌に掲載される者

優秀賞、佳作、次点・・・

 

彼らの言動は一体

クオリティや、テクニックを裏付けるものであるか

 

残念ながらそれは違うようだ

 

少なくない彼らは

人として後ろ指をさされても致し方のない言動を取る

 

カメラマン然りそして

残念ながら一部モデルもである。

 

被写体として、彼らに撮られ

展示されるモデルの中に、残念なモデルがいる。

 

ポートレートを志すもの

カメラを趣味とするものは

一体、目指すべき頂きが「彼ら」なのかを

一度冷静に見つめてみるといい。。。

 

頂であるべき「審査する側」が

彼らの本質を見抜けないようでは

冷静になるのも難しいというものかもしれない

 

しかし、絶対に折れてはならない。

 

おかしいものは、断じておかしいのだ。

 

そういうものが見える「目」は

失わぬようにしたいものだ。

 

カメラを趣味とする者である間は。。。

嫉妬

同じモデルを撮るカメラマン同士

その嫉妬が見るに堪えないw

 

腕の差

シチュエーション

それらの違いから来る嫉妬

 

自分に対する扱いが不当だと

訴えんばかりの態度だが

言葉は違う

正当性を訴える

相手の下劣さを訴える

 

その結果

結局のところ周囲から爪弾きにされる。

 

それはそれでいいのだ

消えるべきカメラマンが消えようとしているのだから

それはそれでいいのだ。

 

残るべきカメラマンは

被写体であるモデルが決めるのだ。

 

ただ、現状でその選択は

言うまでもなく、消去法による。

 

消去法で残るようなカメラマンに対して

嫉妬することはないのだ。

 

そのようなカメラマンは

最初から退場すべきなのだ。

ヘドロ

ポートレート撮影会に参加するカメラマンは

その9割がヘドロのような薄汚い連中だ。

 

普通の人間は1割りにも満たない。

 

数年参加してきた中で

辿り着いた結論だ。

 

どう贔屓目に見ても

殆どのカメラマンが人間としておかしい。

 

彼らに

カメラマンのモラルを説いたところで

理解されるわけもない。

 

ただ

だからといって、野放しには出来ない

どう考えても野放しには出来ない。

 

このままでは、撮影会は遅かれ早かれ

無くなってしまう。

 

早急な処置が必要だ。

 

 

ヘドロは

除去されるべきだ。

 

然るべき場所に

葬り去るべきなのだ。

 

答え

勘違いしないでもらいたい

 

答えはモデルが出すのであって

カメラマンが出すのではないことを

 

いい写真かどうかは

モデルが決めるのだ

 

たとえ

撮影会の外で

カメラマンとモデルが会ったとしても

それをモデルが拒否していなければ

その行為は咎められるものではないことを

 

答えはモデルが出すのだ

 

外野のカメラマンが騒ぐ資格は

残念ながらないのだ

 

正義正論をカメラマンが説いたところで

そんなものは無意味だ

 

撮影会参加者の中には

再三再四忠告しているように

モデルから忌み嫌われているカメラマンがいる

 

正義正論を吐くのは

大体においてそのような

忌み嫌われているカメラマンだ

 

正義正論が答えなのではない

 

答えはあくまでも

モデルが出すものなのだ

 

勘違いするな

愚かなカメラマン諸君

 

守るべきもの

カメラが好きで

趣味として

被写体として女性の写真を撮る

ポートレート

 

撮影会はそういった場を提供してくれる

便利な場所だ

 

そこに

カメラや写真を冒涜するものが多く潜在する

 

彼らによって冒涜されるものは

果たしてカメラか写真か・・・

 

 

守らなければならない

 

素晴らしい趣味を

 

そして、その趣味を応援してくれる存在である

他ならぬモデルを

凋落

モデルが辞めてしまう

あるいは、モデルに固執しない

 

多くのカメラマンが

モデルから嫌われている

嫌われる

明らかな理由がある

 

トーカー気質

気持ち悪い

不潔

救いようがないほど下手

 

彼ら

デリカシーのない

およそ下半身だけで生きているような

ゲテモノカメラマンの存在が

モデルを撮影会から消し去っている

現在進行系だ

 

こんなカメラマンに撮られるなら

もうモデルを辞めてもいい

実際のモデルの声だ

 

以前にも書いた

モデルが辞めてしまう

モデルのなり手がいなくなる

質が下がる

やがて撮影会は凋落する

 

写真という素晴らしい趣味を

カメラという素晴らしい趣味を

凋落に導くようなゲテモノを断じて許すわけには行かないのだ

 

現在、新規の撮影会がいくつも立ち上がり

撮影会界隈は盛況に見えるかもしれないが

それは幻だ

 

既に凋落は

始まっているのだ