「カメラマン」のモラル

カメラを持つと人格が変わる?? そんなことはないでしょう

出入り禁止の問題

モデルが訴える

「このカメラマン嫌だ」

「最低なカメラマン」

 

主催にいくら訴えたところで

なぜだろう?出入り禁止にはならないのだ。

 

カメラマンが訴える

「あのカメラマンがおかしい」

「他のカメラマンに攻撃的だ」

 

主催は全く取り合わない

 

出入り禁止というのは

カメラマンでもモデルでもなく

主催が決めているのだ。

単純に、主催の好みだ。

 

そこに、判断の狂いがある。

 

カメラマン、モデル、双方に嫌われても

主催に嫌われさえしなければいいのだ。

のうのうと撮影会に参加できてしまう。

 

果たしてこれでいいのか。

 

主催の判断は、果たして正しいのか。。。

 

今まで見てきた中で、この正しい判断が出来た主催は

誰一人としていない。

 

この行為が

撮影会を衰退に追いやり

撮影会そのものを、いかがわしいものに変貌させ

質の低いカメラマンが残ることになるという結果を導き出すことを

主催はわかっているのだろうか。

 

ある、元主催の活動を見るにつけ

全くわかっていないか、

わかっててやっているか

そのどちらかであることがよく分かる。

 

どちらかというなら

それは確実に

「わかっててやっている」のであろう。つまり

 

撮影会は、カメラマンを求めているのではない

金払いのいい、頭の弱い、女を知らない

どーしよーもないオッサンを実は求めているのだ。

 

撮影会主催は例外なく

カメラなんかどうでもいい

写真なんかどうでもいい

要は金、金だけ、なのだということが

残念ながらよく分かるのである。

 

それに気づいたカメラマンは、

おそらくもう、撮影会などには行かないであろう

しかし、そういう「カメラを趣味とする」「カメラが好きな」カメラマンは

そのような、カメラや写真を冒涜する者共の振る舞いを

一切許さないであろう。

 

カメラマンもクズなら、主催もクズである

そういう世界だということを心得た上で参加すべき場所だ。

 

これは大変残念な事実であり

撮影会の本質であると言えよう。

愚かなカメラマン

彼岸花の名所「巾着田」で

某有名モデルが「撮影企画」を開催したようだ。

 

その時の写真がツイートされ

ベンチを占拠しソフトボックスを並べ立て

一般の訪問客の邪魔になっているとして非難の的になった。

 

撮り鉄と同じ構図だ。

 

世間の目は冷たい。

それが現実だ。

 

しかし、問題はここから先にある。

 

某掲示板において、有料で開催したことを盾に取り

全責任を開催主宰であるモデルに押し付ける言動が目立つのだ

もちろんコレは、IDを変えて一人で喚き立てている可能性もある。

 

しかし、この場合

有料開催だからと言って

あるいはモデルが「全責任は私にある」とツイートしたからと言って

 

もとから巾着田で、つまり有名な観光地であり

人出も多い場所で開催することを知っていた

多くの分別ある大人のカメラマンたちまで

「すべての責任はモデルにある」という態度で

果たして済むのかという話だ。

 

お金を払っているわけだから

モデルに対して要求する権利はあるのだ。

すなわち「ベンチを荷物置きに使うのはいかがか?」とか

「ソフトボックスを通り道に置くのはいかがか?」と

注意を喚起する権利はあるのだ。

 

その権利すら行使せず

いざ某掲示板で叩かれた途端に

「全責任はモデルにある」という態度で尻尾を丸めてとんずらし

全くモデルを擁護すらしないカメラマンに

果たしてカメラを持つ資格はあるのだろうか。

シャッターを切る資格はあるのか。

被写体の前に立つ資格はあるのか。

 

言うまでもなく、答えは「No」だ。

 

全責任を背負うと発言したモデル

それはそうだろう、そう言うしかないだろう。

しかし、そのモデルを矢面に立たせて尻尾を巻いて逃げ出したカメラマンは

未来永劫断じて許さない。

カメラマンであるなどと名乗らせることを

可能な限り拒むものである。

 

カメラを趣味とする者の人間性

ここまで落ちぶれているのだ。

コレが現実だ。

 

そして、案の定、おそらく巾着田では

モデル撮影はできなくなるだろう。

 

自分たちの趣味の場所、居場所を

自分たちでどんどん潰している。

 

こんな愚かな老害どもを

筆者は許すつもりはない。

 

愚かなカメラマンのカメラなど

その場で破壊してしまえばいいのだ。

 

誰がなんと言おうが

その信念は揺るがない。

 

そして現実に

Camellia撮影会が幕を閉じるという

 

主宰のツイートを読むと・・・

「毎日のように届く理不尽なクレーム」

「リスクについても指摘された」

 

などなど

要するにカメラマンからの

「理不尽な要求」

「余計な指摘」

「俺の言うことを聞け」

 

そんな圧力がかかり続けたのだろう

 

常々指摘してきたように

カメラマンの態度がモデルや撮影会を

「閉鎖」「卒業」に追い込むことになるというのが

現実に起きたのである。

 

問題はおそらく、Camellia撮影会だけではない

他の撮影会においても、似たような問題を内在している。

 

一部とは言えない、多くのカメラマンの態度が

そのカメラマン自身の居場所をなくしてしまうのだ。

 

自業自得といえばそれまでだが

その「多くの腐れカメラマン」をよく思わないカメラマンも

少なくない。

 

割りを食うのはまともなカメラマンだ。

 

指をくわえて見ていていいのか??

 

立ち上がれよ

闘えよ

 

自分の居場所を食い尽くす「腐れカメラマン」を

容赦なく駆逐しないと

本当に居場所がなくなるぞ。

 

戯言などではない

コレは、現実だ。

 

いい加減、目を覚ませ。

本質

撮影会にとって

歓迎しているのは

「キモイど下手なカメラマン」か

それとも

「まともで上手いカメラマン」か

 

これまで数年撮影会を見てきたが

明らかに前者「キモい連中」が歓迎されている。

 

それはなぜか

キモい連中は、おとなしくカネを払い

何度も何度も、その財力に任せて

撮影会にカネを落とすからである。

 

まともな奴らは撮影会にばかりに金を落とすわけではない。

 

キモい連中は撮影会、モデルからしたら

言うことを聞く銀行のようなものだww

 

こいつらをいい気分にさせ

いかに自分を撮るように仕向けるかが勝負であり

出来上がった写真になど全く興味はないw

 

上手い連中をいくら褒めても

彼らは自分の腕を自分でよく知っている。

褒められれば褒められるだけ

そのキャバクラ的体質に気づき始め

遅かれ早かれ撮影会から去る。

 

この本質がある限り

カメラを趣味とするまっとうな人にとって

撮影会は迷惑千万な存在でしかないのだ。

 

キモい「自称」カメラマン連中と

それをたぶらかすクズ女によって

カメラ、写真と言うものが

愚弄されていくだけだからだ。

 

本質を見抜いたものは

もう二度と撮影会になど参加しないであろう。

写真などどうでも良い

「お写真」

ポートレートモデルが口にする褒め言葉

 

その言葉にほだされる自称「カメラマン」が

必死になって参加する「ポートレート撮影会」

 

意識の高い撮影会はあるか

意識の高いモデルはいるか

 

ある程度の高い低いはあるにせよ

所詮、客であるカメラマンがアホである以上は

「そのような客を相手に稼げれば良い」のである

 

上手い下手などどうでも良い

そのカメラマンたちの殆どが下手であり

自分では上手いと思っており

そしてスキあればモデルに触ろうと必死だwww

 

だから写真などどうでも良いのだ。

上手いとおだてるだけおだてた挙句に、大口顧客に祭り上げ

むしり取るだけむしり取る

貢がせる。

 

撮影会の本質は残念ながらこのような感じだ

モデルもそうだ。

 

そうしてしまったのは

他ならぬカメラマン自身だ。

 

お前らの撮る写真など

どうでも良いのだ。

 

潔くカネさえ払えば

どうでも良いのだ。

 

 

お触り禁止

モデルに何かと理由をつけて

触れる、触れたがるカメラマン。

 

例えばポーズの指示

立ち上がる際の手助け等

とにかく何かと理由をつけて

モデルに触る、触ろうとする。

 

それにOKを出すも、NGを出すも

そんなものはモデル次第だ。

 

とかく「触られた」と被害を訴えるモデルが多い

そしてその「加害者」であるカメラマンは

例外なく、気持ち悪いオッサンだ。

 

頼むから勘弁してくれ

普段から女性慣れしてない、今までモテたこともないような

気持ちの悪いオッサンが触ろうとすればそれはモデルからしたら

鳥肌モノ以外の何物でもないのだ。

 

多少のタッチは許容するモデルがいないわけではないが

許容したとしてもそれは

触る方のカメラマンが明らかに爽やかで自然だからだwww

 

勘違いしないでほしい

カメラを持とうが何に化けようが

あんたはキモいおっさんでしかないのだ。

 

触りたいならおとなしく、風俗にでも行けばよいのだ。