「カメラマン」のモラル

カメラを持つと人格が変わる?? そんなことはないでしょう

ポートレート写真展なるもの

○○展・・・と題する

ポートレートのみを題材とした写真展がある。

 

あるカメラマンが、わざわざ足を運び

しかしそこで感じた違和感を後々ツイートした。

 

すると、その展示会に展示しているカメラマン

賛同しているが展示していないカメラマン

モデル・・・etc

 

異を唱えるカメラマンを寄ってたかって潰しにかかっている。

 

自分たちの展示会に足を運び

楽しみに見していた展示会で感じた違和感をツイートしたところで

何を怒り狂って潰しにかかるのか。

 

およそ彼らは、

自分たちの承認欲求を否定する存在に対して

断じて許さないという姿勢を全面に出す。

 

YESと唱えるものしか受け付けないのだ。

 

それが一体何になる?

自分たちを否定するものは一切排除

手段は問わない脅迫まがいの言動ですら厭わない。

 

そんな者共が撮る写真に

一体何が写り

そして、その写真に一体以下ほどの価値がある?

 

ポートレート写真展に参加するカメラマンは

例外なく全員この類だと言い切ってもいい。

そんな者共に写真を語る資格はない

シャッターを切る資格もない

ひいては、カメラを持つ資格すらないのだ。

 

小学生の学芸会以下のこの類の集団は

言うまでもなく、諸悪の根源だ。

問答無用で排除されるべきは

言うまでもなく、彼らだ。