「カメラマン」のモラル

カメラを持つと人格が変わる?? そんなことはないでしょう

本質

撮影会にとって

歓迎しているのは

「キモイど下手なカメラマン」か

それとも

「まともで上手いカメラマン」か

 

これまで数年撮影会を見てきたが

明らかに前者「キモい連中」が歓迎されている。

 

それはなぜか

キモい連中は、おとなしくカネを払い

何度も何度も、その財力に任せて

撮影会にカネを落とすからである。

 

まともな奴らは撮影会にばかりに金を落とすわけではない。

 

キモい連中は撮影会、モデルからしたら

言うことを聞く銀行のようなものだww

 

こいつらをいい気分にさせ

いかに自分を撮るように仕向けるかが勝負であり

出来上がった写真になど全く興味はないw

 

上手い連中をいくら褒めても

彼らは自分の腕を自分でよく知っている。

褒められれば褒められるだけ

そのキャバクラ的体質に気づき始め

遅かれ早かれ撮影会から去る。

 

この本質がある限り

カメラを趣味とするまっとうな人にとって

撮影会は迷惑千万な存在でしかないのだ。

 

キモい「自称」カメラマン連中と

それをたぶらかすクズ女によって

カメラ、写真と言うものが

愚弄されていくだけだからだ。

 

本質を見抜いたものは

もう二度と撮影会になど参加しないであろう。

写真などどうでも良い

「お写真」

ポートレートモデルが口にする褒め言葉

 

その言葉にほだされる自称「カメラマン」が

必死になって参加する「ポートレート撮影会」

 

意識の高い撮影会はあるか

意識の高いモデルはいるか

 

ある程度の高い低いはあるにせよ

所詮、客であるカメラマンがアホである以上は

「そのような客を相手に稼げれば良い」のである

 

上手い下手などどうでも良い

そのカメラマンたちの殆どが下手であり

自分では上手いと思っており

そしてスキあればモデルに触ろうと必死だwww

 

だから写真などどうでも良いのだ。

上手いとおだてるだけおだてた挙句に、大口顧客に祭り上げ

むしり取るだけむしり取る

貢がせる。

 

撮影会の本質は残念ながらこのような感じだ

モデルもそうだ。

 

そうしてしまったのは

他ならぬカメラマン自身だ。

 

お前らの撮る写真など

どうでも良いのだ。

 

潔くカネさえ払えば

どうでも良いのだ。

 

 

お触り禁止

モデルに何かと理由をつけて

触れる、触れたがるカメラマン。

 

例えばポーズの指示

立ち上がる際の手助け等

とにかく何かと理由をつけて

モデルに触る、触ろうとする。

 

それにOKを出すも、NGを出すも

そんなものはモデル次第だ。

 

とかく「触られた」と被害を訴えるモデルが多い

そしてその「加害者」であるカメラマンは

例外なく、気持ち悪いオッサンだ。

 

頼むから勘弁してくれ

普段から女性慣れしてない、今までモテたこともないような

気持ちの悪いオッサンが触ろうとすればそれはモデルからしたら

鳥肌モノ以外の何物でもないのだ。

 

多少のタッチは許容するモデルがいないわけではないが

許容したとしてもそれは

触る方のカメラマンが明らかに爽やかで自然だからだwww

 

勘違いしないでほしい

カメラを持とうが何に化けようが

あんたはキモいおっさんでしかないのだ。

 

触りたいならおとなしく、風俗にでも行けばよいのだ。

プロという存在

「写真家」

言ったもの勝ち

資格など不要だ

「俺は写真家だ」というだけで

誰でも写真家になれる。

 

ところが

「プロの写真家」となると話は変わってくる。

写真で生計を立てる

写真で人様から金銭をいただく。

 

宣言すればなれるものではなく

一定以上の条件は必ず存在する。

 

彼らの中に

フォトコンテストの審査に携わるものがいる。

 

彼ら「プロ」の選考によって

図らずも「まがい物」が入賞してしまうケースが発生した。

その写真が「まがい物である」ことを

見抜けないのだ。

 

彼ら「自称プロ」の存在によって

「まがい物」が入選し、コンテストを扱う雑誌が売れてゆく。

 

「バレなければ何をしてもいいビジネスモデル」だ。

 

このビジネスモデルに乗っかり

まがい物を次々と応募し、入賞し

自称「勝者」となるアマチュア

 

それを目指すアマチュア

 

まがい物がまがい物を生み出す構図は

やがて写真界を衰退に追いやる。

 

プロだというなら

写真を志すものを汚すな。

 

そのようなプロは、写真会から去れ。

 

そしてもちろん

この構図の頂点にいるのは

マスコミである「カメラ雑誌」だ。

 

雑誌こそ、諸悪の根源だ。

 

写真を冒涜する存在そのものだ。

 

気づいたものは行動しろ。

どうすればいいかはもう、わかるはずだ。

 

抜かりなく、行動しろ。

 

殻は硬いのか

雑誌に応募し掲載される

カリスマカメラマン(?)の特集を組む

そのカメラマンが撮影した写真を写真集として発売する

ポートレートモデルを取り上げ特集する。

 

雑誌

カメラマン

モデル

 

トライアングルによる「ビジネスモデル」とでも言うべきか

そこには明らかなる利害関係がある。

 

だから、そのトライアングルの中に入りたがる

入れば少なからずの利益がある

 

金銭

名誉

収入

・・・

 

その結果何を生み出すか

いや、既に何を生み出したか

 

入るためには

何をしてもいいのか

 

誰の許可で入るのか

 

考えてもらいたい。

 

写真を趣味とするものが

果たして本当に

そのトライアングルに入ることが

必要であるのかを

 

入ったら最後

魂を売ることになることに

なぜ気づかないのか

 

カメラが好きであるならば

本当に好きならば

そのトライアングルには絶対に入ってはいけない。

 

食い物にされた挙句

魂を売り払い

本当に撮りたい写真が撮れなくなるからだ。

 

それでは

本末転倒であるのだ。

 

人を騙し

人を欺き

そうまでして、そのトライアングルに入ったものを

決して尊敬はできない。

 

その殻を

破らなければならない

 

決して固くないその殻を

勇気を持って破らなければならないのだ。

それは登るべき山か

ポートレート写真の展示会なるもの

そこに展示者として参加するもの

クオリティ、テクニック

尊敬の眼差し・・・

 

雑誌に掲載される者

優秀賞、佳作、次点・・・

 

彼らの言動は一体

クオリティや、テクニックを裏付けるものであるか

 

残念ながらそれは違うようだ

 

少なくない彼らは

人として後ろ指をさされても致し方のない言動を取る

 

カメラマン然りそして

残念ながら一部モデルもである。

 

被写体として、彼らに撮られ

展示されるモデルの中に、残念なモデルがいる。

 

ポートレートを志すもの

カメラを趣味とするものは

一体、目指すべき頂きが「彼ら」なのかを

一度冷静に見つめてみるといい。。。

 

頂であるべき「審査する側」が

彼らの本質を見抜けないようでは

冷静になるのも難しいというものかもしれない

 

しかし、絶対に折れてはならない。

 

おかしいものは、断じておかしいのだ。

 

そういうものが見える「目」は

失わぬようにしたいものだ。

 

カメラを趣味とする者である間は。。。

嫉妬

同じモデルを撮るカメラマン同士

その嫉妬が見るに堪えないw

 

腕の差

シチュエーション

それらの違いから来る嫉妬

 

自分に対する扱いが不当だと

訴えんばかりの態度だが

言葉は違う

正当性を訴える

相手の下劣さを訴える

 

その結果

結局のところ周囲から爪弾きにされる。

 

それはそれでいいのだ

消えるべきカメラマンが消えようとしているのだから

それはそれでいいのだ。

 

残るべきカメラマンは

被写体であるモデルが決めるのだ。

 

ただ、現状でその選択は

言うまでもなく、消去法による。

 

消去法で残るようなカメラマンに対して

嫉妬することはないのだ。

 

そのようなカメラマンは

最初から退場すべきなのだ。